大判例

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札幌地方裁判所岩見沢支部 昭和42年(わ)103号 判決 1967年10月23日

主文

被告人岡田を罰金一万円に、被告人大島を罰金五千円に各処する。

被告人らにおいて右罰金を完納することができないときは、それぞれ金五〇〇円を一日に換算した期間、被告人らを労役場に留置する。

被告人岡田に対し、公職選挙法二五二条一項の選挙権および被選挙権を有しない期間を二年に短縮し、被告人大島に対しては、右二五二条一項の規定を適用しない。

理由

(罪となる事実)

被告人岡田ミドリは、昭和四二年一月二九日施行の衆議院議員総選挙に際し、北海道第四区から立候補した岡田春夫の妻としてその選挙運動をした者、被告人大島も判示第一の戸別訪問によってその選挙運動をした者であるが、

第一、被告人らは、共謀のうえ、同候補者に投票を得しめる目的をもって、別表第一記載のとおり、昭和四二年一月二〇日、被告人大島の案内により、ともに同選挙区の選挙人である美唄市有為二区山際礼子外二六名を戸々に訪問して戸別訪問をした、

第二、被告人岡田ミドリは、佐藤博及び小太刀重雄と共謀のうえ、同候補者に投票を得しめる目的をもって、別表第二記載のとおり、同年一月二三日ころ、右両名の案内によりともに同選挙区の選挙人である空知郡栗沢町美流渡末広町林音吉外九名を戸戸に訪問して戸別訪問をした

ものである。

(証拠の標目)≪省略≫

(法令の適用)

被告人岡田の判示第一および第二の各所為、被告人大島の判示第一の各所為は、いずれも、包括して刑法六〇条、公職選挙法一三八条一項、二三九条三号に該当するので、被告人両名に対し、所定刑中いずれも罰金刑を選択し、その刑期の範囲内で被告人岡田を罰金一万円に、被告人大島を罰金五千円に各処し、被告人両名が右罰金を完納することができないときは、被告人両名に対しいずれも刑法一八条により金五〇〇円を一日に換算した期間労役場に留置することとし、公職選挙法二五二条四項により、被告人岡田に対しては同条一項所定の選挙権および被選挙権を有しない期間を二年に短縮し、被告人大島に対しては右規定を適用しない。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、別紙第三記載のとおり、その最終弁論において、公職選挙法一三八条一項が憲法第二一条の言論その他表現の自由の保障の規定に違反する無効のものであり、または、本件行為が実質的違法性を欠き、被告人らは無罪である旨主張するので、この点につき判断を示しておく。

一、日本国憲法上、言論その他表現の自由は、最も重要な基本的人権の一つとして保障されている。このことは、選挙制度における言論その他の表現についても例外ではない。

わが国において、選挙制度は、いうまでもなく、国民の自由な意見を政治の上に反映させ、民主的統治を実現させるための手段であるから、個人の人格の平等と並んで言論等表現の自由が、その不可欠の前提条件であるといえる。

したがって、個人の政治的領域における意思、思想の表現としての選挙運動は言論その他表現の自由に属するものとして本来自由であるべきものであり、法律をもってしても、これを全面的に制限したり、その本質的内容に変更を加えることができないことは、いうまでもない。しかし、表現の自由は、個人の意思、思想を外部に発表する自由であるから、その本質上必然的に他の個人的または社会的利益と衝突することが多い。この場合、その相反する利益が、同じく憲法上の保障に値いするものであれば、両者の調整のために、表現の自由といえども一定の合理的制限に服すべきことは、その社会的性質上表現の自由に内在する制約として、憲法上すでに予定されているものとみなければならない。

そして、その制限の合理性は、当該制限の目的と制限の方法、程度のもとで、表現の自由を制限することによってもたらされる利益と、それを制限しないことによって維持される利益との比較衡量によって検討するのが相当である。

二、公職選挙法一三八条一項は、「何人も、選挙に関し、投票を得若しくは得しめ又は得しめない目的をもって戸別訪問をすることができない。」と規定し、同法二三九条三号によって右規定に違反する行為を罰している。この戸別訪問の禁止が、公職選挙法一条にいう「選挙が選挙人の自由に表明せる意思によって公明且つ適正に行われることを確保し、もって民主政治の健全な発達を期することを目的と」して定められたものであることは、その規定上明らかであるが、ここに唱われた選挙の自由、公明、適正は、単に公職選挙法上の理念であるにとどまらず、平等な選挙権、投票の秘密(憲法一五条)等憲法上の諸権利につながる憲法上の重要な個人的ないし社会的利益であることはいうまでもない。

ところが、ここに処罰の対象となる戸別訪問は、選挙運動として、自己の政治的意見、思想の表現として行われるのが通常であるから、戸別訪問を禁止することは、少くとも間接的、部分的には選挙運動における表現の自由に対する制限となろう。

三、(1) ところで、戸別訪問の禁止は、英国、米国などに例をみないが、わが国では普通選挙制の採用された大正一四年の選挙法以来一貫してこれを禁止し(同法では戸別訪問類似の行為として投票依頼等の目的をもってなされるいわゆる個々面接および電話による選挙運動も禁止されていたが、昭和二〇年一二月の改正によって削除された。)、現行公職選挙法もこれを引きついでいる。

もっとも、同法制定に際しては、戸別訪問禁止規定の全面的削除が主張されたことから、当初は、候補者自身が親族、平素親交の間柄にある知己その他密接な間柄にある者を訪問する場合を例外として認めていたが、昭和二四年四月の地方選挙においては、右例外規定を利用した脱法行為の弊害が著しく、また候補者の側においてもこの規定のあるがために、多少なりとも関係のある選挙人に対しては洩れなく戸別訪問をしておかねばならないといった予期しなかった弊害もあって、昭和二七年の改正により右例外規定は削除され再び全面的に禁止されることになったものである。

このような立法の沿革に加えて、わが国の選挙制度が政党本位でなく個人本位の選挙制度であるところから、候補者の側では無用の競争を余儀なくされ、また選挙人の側でも、候補者の選択が、その政策や人物、識見等を基準として理性的に行われるよりはむしろ、候補者ないし選挙運動者との間の種々の生活関係に基く義理や情実によって動かされる傾向がいまなお根強いという世間一般の経験的事実を考えれば、戸別訪問によって個々の選挙人と直接対面して自由に投票の勧誘、依頼が行われるときは、買収、利害誘導等の実質的不正行為が容易に行われ、或いは義理、情実等の不合理な要素によって、選挙人の自由な意思による投票が阻害されるおそれがあるばかりでなく、これに対応して候補者の側でも無用、不当な競争を余儀なくされ選挙運動における実質的公平を害する等、選挙の自由、公正を害するおそれが生ずるといわなければならない。

したがって、前記選挙における自由、公正のために公職選挙法が戸別訪問を禁止していることは、実質的な必要性に基礎づけられているものと認められる(わが国の選挙規制がかなり広汎にわたっているところから、公職選挙法制定当時以来戸別訪問禁止を全面的に解除すべしとの意見もあり、もとより自由な選挙運動によってなおかつ選挙の自由、公正が維持されることが、表現の自由の保障の観点からも望ましく、それが選挙制度の理想でもあるが、これを基礎づけるべき事実は、本件証拠上も経験的事実としても認められない。)。

(2) また、公職選挙法における戸別訪問の禁止は、構成要件上、時、目的、方法の上から明確に限定された行為を対象としており、それは表現の自由の核心ともいうべき表現の内容自体を直接制限しているものではないし、その制限は、禁止行為に対する違反があったときはじめて刑事手続により慎重な司法審査を受けるいわゆる事後的抑制であるから、右禁止規定が不当に拡大され、政治活動や、他の許された選挙運動における表現の自由を制限する危険性は少い。

従って、戸別訪問の禁止によって間接的に表現の自由が制限されることになるとしても、それは極めて限られた部分にすぎず、また選挙における表現の自由にとって本質的な制限とまではいえない。

(3) さらに重要なことは、戸別訪問における表現の自由といい、選挙の自由、公正という憲法的利益といっても、両者は、一見相対立する利益のように見えながら、異質の利益ではなく、その実質においてひとしく民主政治の基幹をなして、その健全な発展に資すべき性質のものである。

四、以上のような諸点を彼此勘案すれば、公職選挙法一三八条一項、二三九条三号が、右のように特定の限られた手段、方法による表現行動につき、ある程度の制限を加えていることは、選挙の自由、公明、適正を確保するために必要やむを得ない合理的な制限であるというべきであり、右規定が憲法に違反するものとはいえないと解する。

弁護人は、本件の場合にいわゆる「明白かつ現在の危険」の基準を適用すべきであると主張するが、この基準が表現の自由に対する制限立法の合憲性審査ないしは法令解釈上の基準として一般通用性をもたないことは、この基準を生んだアメリカにおける判例自身が教えるところであり、表現の内容そのものを制限せず、また対立する利益に同質性、等価値性の認められる本件のような場合に右の基準を適用することは相当でないものと考える。

五、なお、弁護人は、本件戸別訪問行為は実質的違法性を欠くものであると主張するが、公職選挙法一三八条一項、二三九条三号は、右に述べたように、買収等実質犯の犯されやすい危険の排除を一つの目的としながらも、それに至らない戸別訪問という形式自体をとらえてこれを禁止し、これに反する行為を違法として処罰するものであるから、弁護人が主張する買収等の実害を生ずるおそれがなかったという事情は、犯罪の情状として考慮すべきであるにとどまり、本件行為の違法性を阻却するものではない。

(裁判官 荒井史男)

<以下省略>

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